ベンチャー法務の部屋

権利の濫用という法理

昨日のエントリー「名目的取締役が約した保証債務の履行請求と権利濫用」では、権利の濫用について、取り上げました。この「権利の濫用」という言葉は、よく耳にしますが、改めて考えてみたいと思います。

本来、権利を有しているのであるから、その行使は、認められるのが当然です。ある意味、トートロジー(同語反復)でもあります。そうすることが許されるから「権利」というのであり、権利の行使は許されるのが当然というのは、ほとんど言葉を定義しているのに近いと言えます。それなのにもかかわらず、権利の濫用という言葉が存在します。ある意味、私的自治と真っ向から対立する概念のようにさえ読めます。

日本の民法第1条第3項は、「権利の濫用は、これを許さない。」と定めています。この規定の前には、「私権は、公共の福祉に適合しなければならない。 」(民法第1条第1項)と「権利の行使及び義務の履行は、信義に従い誠実に行わなければならない。 」(民法第1条第2項)が定められています。従って、第1条第3項がわざわざ権利の濫用の禁止を定めたのは、公共の福祉や信義誠実の原則ではカバーできない領域に対応するためと考えられます。

この権利の濫用の禁止は、権利の行使には、自ずと限界があるという言いかえることもできます。この内容の規範は、古くはローマ法にその起源があるようです。大学時代のローマ法の参考書を引っ張りだすと、以下のようなラテン語の格言があります。なお、訳は、いずれも柴田光蔵先生の本に依拠しております。

Male jure nostro uti non debemus.(私たちは自身の権利を悪く用いてはならない。)
Sic utere tuo ut alienum non laedas.(君が他人のものを害しないようにして、君は君自身のものを利用せよ。)


一文目は、古代ローマの法学者ガーイウスが個人的に作成した講義用の命題であり、二文目は、古代ローマよりもずっと後の時代に生まれてきた格言的命題であるようです。

このような格言がある一方で、次のような格言もあります。

Nullus videtur dolo facere, qui suo jure utitur.(自身の権利を用いるものは、悪意で行動するものと考えられない。)
Qui jure suo utitur, nemini facit injuriam.(自身の権利を用いる者は、誰に対しても不法侵害をなさない。)
Suo jure uti nemo prohibetur.(自身の権利を用いることは誰にも禁じられない。)


一文目は、古代ローマにおいて、ローマ法の原則となっていたもので、最終的には6世紀の法典編纂のさい法文化されたものとのことです。二文目三文目は、上記の二文目と同じく、古代ローマよりもずっと後の時代に生まれてきた格言的命題であるようです。

前者が衡平(equity law)の見地や具体的妥当性を加味する立場であるのに対し、後者は法規範の絶対性を前提とする立場であると分類できるでしょう。柴田光蔵先生の解説によると、1000年もの長いローマの歴史でさえ、変遷があり、本来は、後者のように、(本来は家長だけが保有していた)支配権は、理念的、法的、タテマエ的には絶対のものとされていたものの、共和制末期ぐらいから弁論術(レトリック)が盛んになり、かりにちゃんとした権利を主張するにしても、その行使の態様しだいでは、それが衡平の見地から見て非難されるべきものとなる、という考え方が生まれたとのことです。

弁論家、政治家であり、法律にも精通していたキケロの名言「Summum jus, summa injuria.(最高の正は、最高の不正である。)」には、厳格な法治主義、タテマエ主義への批判も含まれているようにも読めます。キケロはこのような問題意識で、衡平(equity law)の見地や具体的妥当性を加味するための弁論術の世界を生み出していったのかもしれません。

どうやらヨーロッパ史でも、これらの変遷があったようであり、個人主義を強調することにより、私権を絶対視する後者の立場に近づいたようですが、あまりにも権利本位、権利中心に法体系を組み立てると社会に矛盾が生じてくることになり、前者のような濫用をチェックする方向となり、基本原理化していったようです。

一言で、権利の濫用といいましても、その歴史的な背景は長いものです。また、現代の日本でも認められている基本原理でもありますが、ご覧の通り、非常に曖昧な概念でもあり、恣意的な運用をすると、私的自治の原則を害することとなりますので、裁判所は、「権利の濫用」という法理論でもって、権利を制約する場合には非常に慎重に検討します。「権利の濫用」が濫用されることのないように運用されなければならないものでもあります。

昨日のエントリーをご覧になって、いざというときには「権利の濫用」で救ってもらえるかもしれないと考えるのは、危険です。まずは、予防、自衛が原則ですので、(相手に権利を発生させる法律行為に関連して)印鑑を押す場合は、リスクを認識し、わからなければ専門家に相談するよう心がけていただければと考えます。

執筆者
S&W国際法律事務所

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