未払残業代の解消方法~IPOの引受審査での対応実務を踏まえて~

株式を上場するためには、その過程において、証券会社の引受審査、及び、証券取引所の上場審査を受けることになります。これらの審査では、法令遵守の一環として、労務面での法令適合性も審査対象となります。

法令適合性の審査対象となる労務面での事項は多岐にわたりますが、その中でも、最も多く問題となる事項の1つであり、かつ、金銭的な負担に直結するものが「未払残業代」です。

以下では、未払残業代が生じやすい事項、及び、発見された未払残業代の解消方法に関して、IPOの引受審査での対応実務を踏まえて説明します。

1 前提

IPO前に未払残業代の問題を解消することは、IPOをするために必須です。

IPO後に未払残業代が存在することが発見されると、全従業員に関係する多額の費用が発生することになり、投資家に想定外の大きな損失を与えることになるからです。

会社は、従業員の労働時間について、客観的な記録によって把握する義務を負います(労働安全衛生法第66条の8の3)。

ここでいう客観的な記録とは、「タイムカードによる記録、パーソナルコンピュータ等の電子計算機の使用時間の記録等の客観的な方法その他の適切な方法」とされています(労働安全衛生規則第52条の7の3第1項)。

また、同条2項では、「事業者は前項に規定する方法により把握した労働時間の状況の記録を作成し、3年間保存するための必要な措置を講じなければならない。」と、記録の作成及び保存の義務も規定しています。

このように、会社には、従業員の労働時間の把握について義務を負担しています。従業員の労働時間を適切に把握していなければ、未払残業代の有無について把握することもできませんので、まずは、この点に適切に対応する必要があります。

2 未払残業代が発生しやすい事項

(1)労働時間の理解と管理

労働時間とは、基本的に、「労働者が使用者の指揮監督命令下におかれている時間」のことをいいます。使用者が決定した、労働者が勤務すべき時間ではありません。

会社または上司としては、明確には業務を命じていないつもりでも、従業員が指揮監督命令下にあれば、その時間は労働時間として賃金支払の対象になります。

具体例としては、業務時間前の着替え等の準備、朝礼、業務時間後の片付け・清掃、自宅での業務、待機・移動時間、会社行事への参加等があります。

会社は、賃金支払の対象とする項目を明確にして、対象としない事項については従業員を指揮監督命令下におかないように、業務管理を行う必要があります。

(2)管理監督者

いわゆる管理監督者については、労働基準法の労働時間規制等は適用されません(労働基準法第41条第2号)。

この規定をもとに、課長以上または部長以上等の役職の者に対し残業代を支払わないといった運用をしている会社が散見されます。

ここでいう管理監督者といえるためには、労働条件の決定、その他労務管理について経営者と一体の立場にある者といえることが必要であり、具体的には、① 経営や労務管理に関する権限② 自己の労働時間についての裁量権③ その地位にふさわしい賃金を有しているか否かを基準として、実態に即して個別具体的に判断されます(平成20年1月28日東京地方裁判所民事第19部判決:マクドナルド事件等で同様の基準が採用されています。マクドナルド事件では、店舗の店長について、管理監督者性が否定されました[注1]。)。

訴訟において、裁判所に管理監督者性を肯定してもらうことは、一般的にハードルは低くありません。また、私自身の実務経験において管理監督者性を満たしていないと思われるケースを目にすることも多くあります。

したがって、一定の従業員を管理監督者として扱う際には、専門家と共同して慎重に検討する必要があります。

[注1]あくまでも、当該事案において各種の事情を個別的に検討することになりますので、「店長」という名称の立場であっても、制度設計によっては管理監督者に該当するケースもあり得ます。

(3)固定残業代

例えば、月給40万円(残業代込み)のように、残業の有無にかかわらず、毎月、一定して支払われる残業代のことを、固定残業代やみなし残業代等といい、実務でも多く導入されています。

この固定残業代が法的に有効と認められるためには、概ね、① 当該固定残業代において通常の労働に対する賃金と残業代の部分とが区別でき、② 残業代部分が、法律によって要求される基準を下回っていないこと、③ 実際の固定残業代を上回る残業が実際に発生した場合には、当該残業について適切に計算して支払われていること、という要件を満たす必要があります。

しかしながら、実務では、これらの要件を満たしていない事例を散見します。

典型的には、「残業代●●時間を含む」といった記載です。一般的な月給制度では、月ごとに平均賃金が異なりますし、残業時間1時間あたりの金額が、時間外か深夜残業か休日残業かで異なるため、固定残業代部分が不明確となり、上記①の区別ができない可能性があるためです。

このような場合には、会社が「固定残業代」と思っていた部分も基礎賃金に含まれますので、冒頭の例でいえば、40万円を基礎賃金として割増賃金が計算されることになります。

(4)その他

上記のほかにも、割増賃金の計算に関する理解の誤りに起因する残業代の算定間違い、変形労働時間に関する手続の不備、または、事業場外のみなし労働時間制が適用できない状況であったのに適用していた等によって、会社が想定していなかった未払残業代が発生することもあります。

3 未払残業代の解消方法

未払残業代の存在が疑われる場合には、その実態調査を行うことになります。

調査の範囲としては、過去3年分とするのが一般的です。これは、賃金債権の消滅時効期間が3年とされていることによります[注2]。

調査の結果、判明した過去3年分の賃金債権については、そのすべてを支払ったうえで、従業員から、残存債権は存在しない旨の書面の提出を受けるべきです。これらの書面と、場合によっては弁護士が作成した意見書を用意したうえで、上場審査に臨むべき場合もあります。

[注2] 労働基準法第115条では賃金債権の時効期間について5年と規定されていますが、同法第143条第2項では「当分の間」は「3年間」とされており、2023年11月時点では3年のままです。

4 最後に

会社の規模、労務管理体制、賃金水準等によっては、未払残業代を解消するために、多大な費用が必要となることもあります。場合によっては事業計画やIPOのスケジュールを修正する必要も生じかねません。

したがって、IPOを目指すことを決定した場合には、すみやかに、法律の専門家である弁護士に依頼して、労務DDを実施することが望ましいです。

当事務所では、会社全体のIPODDだけでなく、労務DDのみでのパッケージサービスもご用意していますので、適宜、ご参照ください(https://www.swlaw.jp/service/labor-due-diligence/)。

執筆者
マネージング・パートナー/弁護士
藤井 宣行

S&W国際法律事務所お問い合わせ
メールでお問い合わせ
お電話でお問い合わせ
TEL.06-6136-7526(代表)
電話/平日 9時~17時30分
(土曜・日曜・祝日、年末年始を除く)
page top