ここから本文です

憩いの部屋

カナヘビの飼育

庭の土の中から発見された白い卵を虫かごにいれていたところ、先日、卵の殻が割れて小さなカナヘビくんがうまれました。
カナヘビというと、蛇を連想させますが、よくみかける茶色のトカゲの一種です。爬虫類はあまり得意ではないのですが、うまれたてのカナヘビくんはそれは小さく、愛くるしい様子で、目が合うと意思疎通ができたような気さえします。
さて、去年書いた、このブログでも問題となった論点ですが、カナヘビくんも、生餌しか食べません。しかも、生まれたてのカナヘビは体も小さいので、バッタをいれても大きすぎて食べることはできず、主食は、パクっと一口で食べることができるサイズの、小さい蜘蛛です。
ここ最近、毎朝の日課は、小さい蜘蛛を捕まえてカナヘビくんにあげることになっていました
それが、今朝、念のために入れていた、一口では食べることができないサイズの大きめの蜘蛛にガブリとかみつき、徐々にですが、食べ切ることができました。
いつ野生に戻っても大丈夫なほど、たくましく育っているカナヘビくんの雄姿に、目を細めた夏の休日の朝でした。
文責 河野雄介
2020年08月11日 15:58|カテゴリー:

|タグ:

コメントはまだありません

“Heal the world” に想う日本語論

私が中学生の頃に、ハマっていた音楽は、Michael Jacksonだった。”Dangerous” というアルバムに出会い、こんなレベルの高い曲ばかりのアルバムがあることに感動して、毎日のように聞いていた。

その名盤”Dangerous”に、”Heal the world” という名曲がある。

曲の構成やメロディは、その当時の日本の歌謡曲とは異次元のものであった。しかし、それだけではなかった。歌詞が崇高すぎるのである。当時、「音楽は曲が全てで歌詞なんて、なんでもいいや」くらいに、 中学生でありがちな、こまっしゃくれた感じで洋楽を聞いていた私にとっても、日本語では、金輪際生み出されない歌詞だろうと衝撃を受けた。

なにせ、
Heal the world
Make it a better place
for you and for me and the entire human race
である。

こんな崇高で、視点の高い理念を真っ直ぐに歌った日本語の歌詞は、あるだろうか。

詩的センスのない私が、日本語に直訳すると、
世界を癒そう
世界をよりよい場所にしよう
あなたのために、そして私と全ての人種のために
となる(*1)。

こんなことを日本語で発信しているアーティストがもし思い当たれば、教えてほしい。

日本語の歌を思い返すと、自分のことか自分の身の回りのことを歌っていることが多い。演歌もポップスも、自分の心情を歌った叙情的な詞や、自分が見た情景や自分の周りの出来事に何かの思いを投影した叙事的な詞ばかりである。これは、万葉集、古今和歌集の時代から変わらぬ日本語、日本の文明の特性ではないか。

ただ真っ直ぐに良き理念を述べる詞が見当たらない。おそらく、日本語のコミュニケーションでは、ストレートに理念や目標を述べることは苦手なのであろう。これは、日本語、そして日本の文明の弱点でもあろう。 (*2)

理念を直裁に述べていないということで真っ先に頭に浮かぶのが、日本国憲法第1条である。

学校では、この条文は、国民主権を述べたものだと教わる。しかし、この条文の出だしは、「天皇」であり、 主語は、天皇と天皇の地位である。

日本国憲法第1条
天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

日本国憲法第1条は「日本国民は、日本国の主権を有する。」ではない。第1条は「第一章 天皇」の条文であることからわかるように、まず、天皇の地位について述べた条文なのである。最も言語的に洗練されているべき日本国憲法において、最も重要な理念である国民主権でさえ、ストレートに表現されていない。

日本の政治家の表現力があまりに乏しいことは、コロナ禍に直面した日本社会で、痛感しない市民はいないではないか。まず無内容であるし、何を言っているのか、何を目指しているのか、わからない。ましてや、技巧がないし、心に届かない。市民が政府の方針の適否を議論したくても、そもそも政府が何を考えているか、全然説明がない。今、2020年7月30日現在では、「私たちは、感染拡大防止のために実効再生産数を1より小さい値に留めつつ、旅行業をはじめとする社会経済を回復することを目指したい。そのための手法として、市民におかれては、以下の点を厳守しつつ、社会経済生活を営み、旅行も楽しんでほしい。1~~」などといってくれれば、何を考えているのかは、まだわかる(この方針に私が賛成しているわけではなく、政府の考え方を推測してみたに過ぎない。違うかもしれない。)。政府が政策の内容を適切に言語化することで、市民は、その政策の適否について、議論することができるのである。

なかなか日本語は、議論するのにやっかいな言語であろうけども、せめて国を代表する方々におかれては、明快に、わかりやすく目指すところや理由を述べていただきたいものである。

*1 この訳が正しいかは、自信がない。Healの前に、Let’s が隠れていると考える他に、一人称Iが隠れているとも、命令形だとも考えられなくもない。敢えてそこを明確にしないことでの味もあるような気がする。

*2 Heal the worldは、Michaelが凄い言語的センスと感性をもっているから生まれた可能性も高い。そうなると、もはや、日本語と英語の違いという問題ではなく、この投稿もあまり意味が無くなってしまうかもしれない。

2020年07月31日 10:58|カテゴリー:

|タグ:

コメントはまだありません

新型コロナウイルスと法律事務所の業務

新型コロナウイルス(COVID-19)により、大阪でも、多くのイベントが中止の判断になりました。私が参加する予定であったイベントもほとんどが中止になってしまいました。

さらに、既に東京のいくつかの企業では、ほぼ全面的に在宅リモートワークに切り替えました。関西圏でも、今後、様々な企業で在宅リモートワークが実施されるでしょう。

当事務所は、業務において、普段、クライアントや相談者の皆様と、面談のほか、eメールや電話、オンライン会議システムでのコミュニケーションを活用しています。所内では、VPNやSlack、オンラインでの会議システム、その他クラウドサービスの利用、裁判のIT化等を、可能な限り、早期に適応し、利用しております。そのため、当事務所は、いつでも、全面的に在宅リモートワークに切り替えられる状態にあります。

なお、裁判のIT化との関係では、今月から一部の裁判所で開始されておりますが、裁判所の準備との関係で実施できないケースはありますので、ご了承ください。

 

新型コロナウイルスによる影響は、まだまだわかりません。特に、経済への影響の大きさ、規模や範囲がつかみづらいです。すでに、中国企業との取引への影響のほか、国内でもインバウンド関連や飲食関連などに影響がでていることを感じます。種々の不安があることとは存じますが、当事務所も全力で対応してまいりますので、クライアントや相談者の挑戦を支え、一緒に乗り切りましょう。

(文責:森 理俊)

2020年02月26日 14:13|カテゴリー:

|タグ:

コメントはまだありません

今年の目標

「1月は行く、2月は逃げる、3月は去る。」
本日は、1月23日。文字通り、1月が行こうとしています。
ここまで書いて、デジャヴを感じましたが、デジャヴではありませんでした。

2019年2月25日の弊所メールマガジンの所感において、私はこう書いています。

「1月は行く、2月は逃げる、3月は去る」と言います。
あっという間に1月が行ってしまったショックから、「私の1年は旧正月からスタートする!」と気を取り直してリスタートを切ったものの、もはや2月も逃げ去ろうとしています。
この言葉は、正月から三月までは行事が多く、あっという間に過ぎてしまうことをいったものとのことですが、行事と業務に忙殺され、私の誕生月である3月には去られぬよう、地に足を付けて日々を過ごしたいと思います。

今年は、去年よりも早い段階で気が付いて良かった…。
まだ1月は行っていない。そして2月は逃げるどころか来てもいない。
新年に立てた目標を1年かけて実現すべく、地に足を付けて日々を過ごします。

さて、アクシス国際法律事務所では、毎年仕事始めの日に、弁護士スタッフ全員が、その年の目標を最低3つ(仕事の目標1つ、プライベートの目標1つを含む。)発表します。その目標については、その年の忘年会で達成できたかどうかを報告し、達成率に応じて素敵な賞品をゲットできるという恒例イベントがあります。

今年も色々な目標が発表されました。
例えば、1月1日から毎日日記をつける、毎月5冊本を読む、家族旅行に行く、自動車の初心者マークを外す、環境問題について少なくともSDGsのうち2つは取り組む、寝る前に子どもたちと1日で一番幸せだったことを話す機会を設ける、ウイルス及び菌由来の病気にならない、などなど。

私は、毎年、運動系の目標として全国法曹テニス大会で日本一を奪還することを掲げていましたが、今年は少し趣向を変え、「フルマラソン完走」を目標のひとつとしました。一昨年、同僚の森弁護士に誘われ、大阪城公園ナイトラン10kmの部に出場し、死ぬ思いをしたことはもう忘れました。フルマラソンを完走するためには、体重を減らすために節制し、体力をつけるために日頃の運動を継続しなければなりません。昨年から同僚の河野弁護士と通い始めたクロスフィットも休めません。フルマラソンを完走できる身体が手に入れば、テニスの試合も勝てるはずです。正にいいこと尽くしで、とてもいい目標を掲げたなと思っています。

目標を公表することで、後に引けなくなるという効果があります。
どうか皆さん、私を叱咤激励して下さい。
今年もどうぞよろしくお願いします。

以上

 

(文責:三村 雅一)

2020年01月27日 09:26|カテゴリー:

|タグ:

コメントはまだありません

『一切なりゆき』

ここ最近、ある人に勧められて、樹木希林さんの『一切なりゆき』(文春新書)という本を読んでいます。

今日は、私が、特に、「そうそう」「そうだよなぁ」と感じたところをご紹介しようと思います。

~人生なんて自分の思い描いた通りにならなくて当たり前~(p.24)

これは、私が、東京の事務所を離れて、大阪で弁護士として独り立ちしようと思ったときにも、自分の先行きに対して思ったことでもありました。
ただ、頭でわかっていても、人と比べたり、思い通りにいかなくて焦ったりすることが、完全にないわけではありませんよね。そういったときは、未熟さを実感する瞬間でもあります。

~私に縁のあった人達、皆キラキラしてほしい~(p.26)

これも、私が、日がな願っていることであり、そうはいえども、なかなか実現しきれていないことでもあります。
特に、家族、いまの事務所の全てのメンバー、クライアント、友人などが、キラキラしてほしいなと思っています。
一方で、この本にあるように「自分本位の執着を断ち切って、自分の周りを整理していこう」とは、なかなかならず、こちらも、自分の未熟さを痛感します。

~子供は飾りの材料にしないほうがいい~(p.42)

子供は、自分の飾りを満足させるナニカではありませんよね。
とはいえ、子供の能力などは、得てして他人(他人の子)と比較しがちで、私も、たまに心の中で、同い年で、~~できている子がいるんだなぁ等と思ったりもします。
しかし、よくよく考えると、人間、あまりにもいろんな道がある一方で、そのほとんどが選択することさえできないのです。私の人生を振り返っても、どこをどのように選択したとしても、大相撲で、幕内力士になる道があったとは思えないです(笑)。
結局、子供に、あらゆる可能性を提供することもできませんので、ほどほどに、ということでしょうか。
でも、やっぱり中学受験させようか、とは思ったりします。ここでも、樹木希林さんほど思いきって、「読み書きソロバンができて友達がいればそれでいいや」とまでは思えていないところが小市民です。

~淡々と生きて淡々と死んでいきたいなあ~(p.46)

自分の身体を適切に保ちつつ、ただあたふたせず、淡々と生きて、淡々としんでいきたいなあというのが、樹木希林さんの言葉です。
私も、それほど身体にに無茶をさせるのはよくないなと思います。
いろいろな執着を徐々に取り外せるように心掛けたいと思っています。
とはいえ、たまには(かなり?!)お酒やラーメンを欲してしまいます。

~病というものを駄目として、健康であることをいいとするだけなら、こんなつまらない人生はないだろう~(p.120)

樹木希林さんは、がんの治療前後で、生活の質に大きな変化はないそうです。
「一つのものには表と裏があるように、物事には善の面もあれば、悪の面もある」という考えは、ものの見方として、持っておきたいものです。
癌という病気は、少なくとも一部は今も不治の病であり、そのことで本人や家族に大変にショックを与えますが、最近は、必ずしも、悪いことばかりではないなと思うようになりました。
密度の濃い人間関係や時間、「家族会議」、介護や社会保障などの社会問題の縮図、「老いる」とは何か、親子や夫婦とは何か、欲とは何か、身体と精神、こういったものをぎゅっと見つめ直す機会を与えてもらっているような気がします。
ただ、それでも、病がなければと思い至って、寂しい思いをすることは確かですけれども。これもまた、小市民であるがゆえでしょうか。

(文責:森 理俊)

2019年12月06日 16:26|カテゴリー:

|タグ:

コメントはまだありません

鯛の飼育

前回、憩いの部屋に投降したブログで、30センチ以上の魚を釣ることが2019年の個人的な目標の一つであることをお知らせしました。

この目標を達成すべく、先日、家族で釣りに出かけ、鯛を釣り上げましたが、サイズは15センチほどでしたので目標サイズには届きませんでした。

最近生き物の飼育図鑑にはまっている息子は、釣り上げた鯛を自宅に持ち帰って飼ってみたいというので(自分でも海の魚を自宅で飼えるのか少し興味があり)、

携帯式エアポンプをいれたクーラーボックスに鯛を入れて、活かしたまま自宅に持ち帰ることにしました。

その後、近所のホームセンターで、人工海水の素、比重計(微妙な塩分濃度調整に使います)、エアポンプや濾過機を購入し、大き目の水槽に海水と同じ環境を作りました。

持ち帰った鯛(「たいくん」と名付けました)は、この環境になじみましたが、次なる問題はエサでした。

すでに死んでいるあさりや、シジミ、乾燥アカムシなどを与えてみましたが、これまで生きた海にいるエサしか食べてこなかったたいくんは、見向きもしません。

そこで、生きたあさり(スーパーで売っているあさりを塩水につけると生きているあさりは顔を出します)や、釣具店で売っている海釣り用のエビなどを与えてみると、喜んで食べます。

たいくんのエサの調達や、エサやりに週末の大部分の時間を費やしているため、そろそろ、たいくんを大海原に戻してやろうかと考えているところです。

(文責:河野 雄介)

2019年11月11日 18:46|カテゴリー:

|タグ:

コメントはまだありません

西日本法曹テニス大会2019

昨年のブログで、法曹界においては、毎年7月に、西日本法曹テニス大会という大会が開かれ、西日本の弁護士、裁判官、検察官が熱戦を繰り広げること、そして、同大会で優勝したペアには、毎年8月か9月に行われる、全国東西対抗法曹テニス大会において、その年の「法曹日本一」の座を懸けて、同じく東日本法曹テニス大会で優勝したペアと対決する権利が与えられることについて紹介しました。

同ブログにおいて、私は、「来年こそ、法曹日本一に返り咲くべく、精進したいと思います。」と記し、それを2019年のプライベートの達成目標の一つに掲げました。

その西日本法曹テニス大会が7月21日に岡山の地で開催されました。

結果は、またしても3位…。ただ、現時点では、今年の1位、2位との間には大きな差があることを実感しており、今は何度やっても勝てないと感じましたので、これが今の実力であると、この結果を受け入れています。

今年の優勝ペアの1人は72期の修習生で、全日本ランキングの最高位が30位台という本物でした。法曹テニスのレベルがますます高くなり、嬉しい限りです。

私は、今回の西日本法曹テニス大会に臨むにあたり、一歩踏み込んでサービスリターンをすることと、ボレーミスを減らすことの2点を自らの課題として、InstagramやYouTubeでプロの練習動画やレッスン動画を見てイメージトレーニングを続け、そのイメージを実現できるように週に1度の実践練習を続けてきました。その結果、約25年間テニスを続けてきて、今が一番テニスが上手いと感じています。

私は来年で38歳になりますが、目標を定めて、その目標を達成するために修練を続けることで、まだまだ成長できるということを実感できました。そして、自分の成長を実感することの喜びを改めて感じました。これは、テニスに限らず、何事においても共通することだと考えています。

何事においても、高い志を持って、日々成長できるよう、そしてその成長を実感できるよう歩んでいきたいと思います。

最後に、今回、まだまだ成長できることを知ってしまった以上、再度目標を掲げます。来年こそ、法曹日本一に返り咲くべく、精進したいと思います。

 

(文責:三村 雅一)

2019年08月13日 11:39|カテゴリー:

|タグ:

コメントはまだありません

2019年の目標達成経過

当事務所では、弁護士とスタッフが、年始に個人的に達成したい目標を発表して、年末に達成度を確認し合っています。2019年の私の個人的な目標として、①30センチ以上の魚を釣る、②体重を4キログラム・ウェストを4センチ落とす、③海外でセミナーをする等の目標を掲げました。上半期が終わったので達成経過を振り返ってみたいと思います。

①については、今年に入って、順調にガシラやキスなどを釣り上げてはいるものの、30センチを超す大物を釣り上げるには至っていません。下半期に期待したいと思います。

③については、5月末に藤井弁護士と中国・深圳を訪れた際に、現地の法律事務所主催のセミナーで、日本におけるIPO等をテーマに、藤井弁護士は中国語で、私は英語でセミナーを行いました。目標をひとつ達成できましたが、満足せずに下半期にもできたらと思います。

問題は、②です。半年が経とうとするのに目標達成の兆しが全く見えませんでした。体重を落とすのであればまずは筋トレして基礎代謝量をあげるべしとの森理俊弁護士の勧めもあり、三村弁護士とともに、6月からフィットネスジムに通い始めました。通っているジムは、1時間のプログラムの中で、限界近くまで追い込まれます。補助付ではあるものの、懸垂やウェイトリフティングなどこれまで取り組んだことのなかった運動もメニューに入っています。トレーニングが終わった後は、階段の上り下りさえきついのですが、不思議とストレスが抜け、爽快な気分になります。トレーニング後は、これも森理俊弁護士の勧めにより、三村弁護士とともに近くのコンビニに立ち寄り、プロテイン飲料を飲むのがルーティーンとなっています。週一回の取り組みとはいえ、週末に子どもを背負ってハイキングに出かけると以前より筋力・体力がついていることを実感します。ほんの少しの積み重ねがこれからの健康生活につながることを確信し、②の目標も達成すべく、今後も、継続してトレーニングを続けて行きたいと思います。

以上文責 河野雄介

2019年07月17日 22:10|カテゴリー:

|タグ:

コメントはまだありません

利尻島・礼文島旅行記

先日、お休みを頂いて、北海道の利尻島・礼文島に行ってきました。

「利尻」と言えば、利尻昆布で聞いたことがある地名だと思いますが、「礼文」についてはあまり馴染みがない地名かもしれません。礼文島は、日本最北端の離島であり、礼文島観光協会のHPによると、「太古の昔。大陸から切り離されたこの島には奇跡的な自然が今なお残されているため、利尻礼文サロベツ国立公園の中でも、夏には約300種の高山植物が咲き乱れる風光明媚な花の島として知られています。」と紹介されています。

正に私はこの旅行を通じて、「今なお残されている奇跡的な自然」を目の当たりにしました。

今まで、北海道の離島というと「冬」のイメージが強く、真っ白な絵を想像することが多かったのですが、特に礼文島の桃岩展望台、澄海岬、スコトン岬は山の緑と海の青が素晴らしく、正に奇跡的な自然に圧倒されっぱなしでした。

私が過ごした3日間は、ベストシーズンかつ好天に恵まれたものであり、冬の厳しい自然の恐ろしさには一切触れていない、という前提の下ではありますが、私は、この島の虜となりました。

ガイドさんの言葉を借りると、「自然がたっぷりの島。自然しかない島。」。この自然がいつまでも続くことを願ってやみませんが、この島にも厳しい現実があるようです。ガイドさんの情報によると、利尻島の人口は約4500人、礼文島の人口は約2500人とのことです。いずれの島も人口の減少が著しく、特に礼文島については、この10年間で20%以上人口が減少したとのことでした。高齢化が進む中、島にも医療機関はあるものの、どうしても充実した医療を受けるためには本島に移らざるを得ない、そういった事情もあるようです。

いつまでも続いてほしい自然のことを思ったとき、学生の頃に訪れた西表島のことを思い出しました。

「西表島を訪れる観光客の増加によって、西表島の自然が破壊されている。」この話についてどう考えているか、西表島のガイドさんに聞いたことがありました。西表島在住のガイドさんは、2人乗りのシーカヤックに乗って波に揺られながら、「そういう話があるのは事実だけど、俺はね、もっともっと観光客にここに来てもらいたいと思う。だってさ、自然を大切にって、都会にいても分からないでしょ。だから、みんなにここにきて知ってもらいたいわけ。大切にしなきゃいけない自然に触れあってもらいたいわけ。」。意外な答えに心を打たれました。

目まぐるしく移り変わる時代の中で、いつまでも変わらずに在るべきものが存在することを強く感じました。そして、いつまでも変わらずに在るべきものを守るために私にできることは、この旅行で受けた感動を多くの人に伝え、少しでも多くの方々に、奇跡的な自然に出会ってきて頂くことだと考えました。皆さま、ぜひ最北端の島へ!

もう少しだけ続けます。

 

「目まぐるしく移り変わる時代の中で、いつまでも変わらずに在るべきもの」は、我々の弁護士の仕事においても同様に存在します。

弁護士法第1条第1項は、「弁護士は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする。」として、弁護士の使命について定めています。そして、我々アクシスは、「弁護士の使命を貫徹し、プロフェッショナルとしての「本物」の価値を全力で提供し続けることによって、より良い社会の構築に貢献する。」という経営理念を掲げ、これを我々の原点として日々の業務にあたっています。

 

時代は目まぐるしく移り変わり、社会も我々も変化を余儀なくされています。

けれど、私は、咲いている花を見て素直に美しいと感じることができる心をいつまでも大切にしたい。そして、みんなが、咲いている花を見て素直に美しいと感じることができる社会を実現したい。

もう一度自分の原点を振り返って、今まで以上に頑張ろうと思わせてもらえた、貴重な3泊4日の旅行でした。

(弁護士 三村 雅一)

2019年06月19日 09:26|カテゴリー:

|タグ:

コメントはまだありません

一つかみの砂金

(今回は、個人的な駄文でして、「ですます調」ではありません。)

twitterを眺めていると、太宰治の一節が流れてきた。

twitterで、自分が選択して、「フォロー」した人がつぶやいた言葉が、次から次への流れてくる。私、個人にとって、twitterは、どちらかといえば、情報収集と人間観察と暇つぶしを兼ねたものになっている。正直なところ、眺めていて、教養が深まっているような感覚が得られることはほとんどない。それが良いのかもしれない。

その中で、太宰の言葉が流れてきて、目を留めた。職業柄か、原典に当たらなければと、早速『太宰治全集5』(ちくま文庫)を購入して、「正義と微笑」を読むことにした。確か『人間失格』を読んだのは、中学か高校の時分だったはずなので、おそらく20年以上ぶりの太宰である。

その『正義と微笑』中に、次のようなくだりがある。twitterのタイムラインに流れたのも、この一部だった。

日記を付けている男子高校生が思い出した、去年に学校を離れた先生が最終授業で伝えた言葉だ。

こんな事を君たちに向って言っちゃ悪いけど、俺はもう、我慢が出来なくなったんだ。教員室の空気が、さ。無学だ! エゴだ。生徒を愛していないんだ。俺は、もう、二年間も教員室で頑張って来たんだ。もういけねえ。クビになる前に、俺のほうから、よした。きょう、この時間だけで、おしまいなんだ。もう君たちとは逢えねえかも知れないけど、お互いに、これから、うんと勉強しよう。勉強というものは、いいものだ。代数や幾何の勉強が、学校を卒業してしまえば、もう何の役にも立たないものだと思っている人もあるようだが、大間違いだ。植物でも、動物でも、物理でも化学でも、時間のゆるす限り勉強して置かなければならん。日常の生活に直接役に立たないような勉強こそ、将来、君たちの人格を完成させるのだ。何も自分の知識を誇る必要はない。勉強して、それから、けろりと忘れてもいいんだ。覚えるということが大事なのではなくて、大事なのは、カルチベートされるということなんだ。カルチュアというのは、公式や単語をたくさん諳記している事でなくて、心を広く持つという事なんだ。つまり、愛するという事を知る事だ。学生時代に不勉強だった人は、社会に出てからも、かならずむごいエゴイストだ。学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。これだ。これが貴いのだ。勉強しなければいかん。そうして、その学問を、生活に無理に直接に役立てようとあせってはいかん。ゆったりと、真にカルチベートされた人間になれ! これだけだ、俺の言いたいのは。君たちとは、もうこの教室で一緒に勉強は出来ないね。けれども、君たちの名前は一生わすれないで覚えているぞ。君たちも、たまには俺の事を思い出してくれよ。

『太宰治全集5』「正義と微笑」75頁(ちくま文庫)

この一節を読んで、自分の大学時代に聴いた小野紀明先生の政治思想史の講義の中で、「教養」(Bildung(独))という言葉が取り上げられたことを思い出した。それがヘーゲルのくだりで出てきたのか、ほかの誰か、たとえば現象学の話などで出てきたのか、さっぱり思い出せない。今後、ノートでも見てみよう。

昨今、「自己実現」や「教養」について、語られることがめっきり減ったように思う。その一方で、実学というか、実用的な技術ばかりを重宝がる傾向が強まっているように思う。

高校で三角関数を学習しても、社会に出れば、全く使わない(だから教育課程から外した方がよい)という意見があり、これに対して、いろんなサービスで、三角関数を用いた技術が下敷きになっていて恩恵を受けているという反論があった。私が数学を勉強して役に立ったと思うのは、法律学や弁護活動でも必ず用いる論理的思考や、その論理を表現する作法の他、価値判断を一切入れない学問の存在を知ることが出来たこと、ある問題を解決するのに全く異なる複数の解法があるといった思考の柔軟さなどであろうか。実用的な恩恵だけではなく、三角関数を学ぶことから個人が得られることも沢山あると、今も実感している。

数学を学ぶ過程から得られたことも沢山あったことを思うと、学問を直ちに役に立つか立たないかといった尺度のみで、測ることは、大変危険で、勿体ない。

イノベーティブな発想やディスラプティブなサービスが、市井の人の心を捉えるのは、その発想や姿勢の裏で、普遍的な価値を、培われた教養によって探り当てていることも理由の1つに違いない。「一つかみの砂金」を残すような訓練こそ、急がば回れで、全く新しいサービスを生み出す近道かもしれない。

(追記)
自分の大学時代を振り返って、運がよかったと思うのは、大学1回生の政治学入門で小野紀明教授に出会って、その後も、小野先生の政治思想史の話を直に聞き続けられたことだ。今から振り返れば、小野先生の講義は、自分の短い半生の中で、最大の娯楽の一つであり、自分自身を形成するために必要な時間でもあった。小野先生の話は、いずれどこかで触れて、お伝えしたい。

(文責:森 理俊)

2019年04月25日 13:26|カテゴリー:

|タグ:

コメントはまだありません