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憩いの部屋

刑事弁護教官の教え

LINEには、誕生日を登録している友達について、「●●さんの誕生日です!」というお知らせが届く機能があるようです。先日、LINEから、10年以上前に事件を担当した際の少年(今はもう立派な成人ですが)の誕生日のお知らせが届きました。

私が彼の少年事件を付添人として担当し、彼は少年院に入りました。その後も手紙のやり取りを続け、「出てきたら会おう!」と約束をしましたが、彼と次に会った場所は警察の接見室でした。「出てきてへんやんか。何でもっと早く連絡せんかってん。」と話をしたのをよく覚えています。その後、再度少年院に入り、そこでも手紙のやり取りを続け、次こそは!ということで、無事に外で会うことができました。その後は、ごく稀に電話でやり取りをするぐらいで、疎遠になっていました。

今回、いい機会だと思い、誕生日メッセージを送ることにしました。するとすぐに返事が返ってきて、昔話に花が咲きました。

彼は、29歳になっていました。私が彼と初めて鑑別所で会ったとき、彼は17歳ぐらいだったので、出会いからもう12年が経過したことになります。さらに驚くことに、彼は私が彼と初めて会ったときの私の年齢(当時私は27~28歳)を超えたことになります。時の流れを感じました。このことを伝えたところ、彼からは、「ヤバい。おじさんになってるw」とのメッセージが送られてきました。彼も30を目前にしており、決して若いわけではない年齢に差し掛かっているものの、2人の間では、今でも17歳と27歳の感覚のようです。

お互いの近況を報告し合った後、彼からは、「まぁ、犯罪はしてない!守るべき人居てるから出来ひんわw。しようと思わん。」というメッセージがありました。

私からは、「これからも、守りたいと思える大切なものをいっぱい増やしていけたらいいね。」というメッセージを伝えました。

彼からは、会いたかったらいつでも会えるで、というメッセージをもらいました。

 

近頃、私は、少年事件からも刑事事件からも遠ざかっていますが、罪を犯すかどうか、その分岐点というのはこういうところ、すなわち、個人に備わった高度な倫理観の問題ではなく、家族や仕事、周りの環境といった外部的な要素にあることが多いのではないか、ということを改めて実感しました。

 

私が司法修習を終える際、刑事弁護教官がクラスに向けて送って下さった言葉があります。

「狂人とは理性を失った人ではない。狂人とは理性以外のあらゆる物を失った人である。」

この言葉は、G.K.チェスタトンの「正統とは何か」の一節です。

最初に聞いた時には意味が分からなかったこの言葉の意味が、刑事弁護の経験を積む中で、徐々に分かるような気がしてきました。

人間とは本来本能で動く存在である。

刑事弁護を経験する中で、理性があれば踏みとどまれたであろうになぜこんなことをしたのか?という思いを持つ場面が多々訪れると思う、ただ、理性を失って犯罪に及んでしまった人間は狂った人間ではない、自分と同じ人間である。

 

この言葉の解釈には異論もあるだろうし、私もまだこの言葉の意味を完全に理解したわけではありません。ただ、私にとって、教官が贈って下さったこの言葉こそが、刑事弁護を行なう上での原点です。

「ヤバい。おじさんになってるw」と言われながらも、彼との今があるのも、この言葉のおかげだと思っています。

 

再会した時に、「あんま変わってないやん!」って言ってもらえるよう、アンチエイジング、頑張ります。

 

(文責:三村雅一)

2021年02月09日 15:52|カテゴリー:

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