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憩いの部屋

優しい世界を実現するために

京王線刺傷事件によって、「ジョーカー」という映画を規制すべき、といった議論がされています。「ジョーカー」は、心優しい善良な男、アーサーが社会の不条理に打ちのめされていく中で、悪のカリスマ・ジョーカーへと変貌していくストーリーと紹介されています。

 

もっとも、過去にも凶行的な犯罪が起こったときには、こういった議論がなされており、凶行的な犯罪をなくすためにはどうすればよいのか、という問題は今に始まったことではありません。繰り返される悲惨な事件を止める方法はないのか、という点について、ヒントとなりそうないくつかの話を紹介します。

 

株式会社Rの代表取締役である佐藤ゆきこさんは、Twitterに、「誹謗中傷とか先日の京王線ジョーカー事件とか。その行為自体は絶対許されることじゃないしダメなものはダメだから厳しく罰して欲しい。でもただ排除するだけでなく、その行為をする人の背景の問題に目を背けずみんなで考えることも当たり前の社会にしないと、結局一生解決しないんだろうなと思う。」と投稿していました。

 

続いて、作家の岸田奈美さんのメッセージを紹介します。

岸田さんの弟はダウン症ですが、ある時、岸田さんが弟のことについて取り上げたTwitterに、「ガイジは生きる価値なし死ね」というコメントがされました。

これに対し、岸田さんは投稿者に対してDMを送り、次のような内容を伝えました。

岸田さんは、最初にこの投稿を見た時に、恐怖を覚えると共に、自らのある体験を思い出した。それは、中学生の頃、自分の母親に対して「死んでしまえ」と言ったことがあったこと。大人になってからようやく謝ることができたが、泣いて謝る岸田さんに対し、母親は、「気にしてへん。」「最初はびっくりしたけど、あとからよーく考えたら、“死ね”なんて強い言葉が出てくるなんて、心がそんだけ荒れてる証拠やなって。あんたはきっと、どうにかして、悲しみをわたしにわかってほしかったんやろうなって」「本当につらい時ほど、人はうまく言葉にできへんもんやね。奈美ちゃんがなにを言ってるかじゃなくて、なんで言ってるかを考える方が、ずっと大切やと思ったよ。」と話しました。

 

岸田さんとその投稿をした方(の母親)とのやり取りの中で、その投稿をした方も障がい者で、かつて学校でひどいいじめを受けて、登校できなくなったこと、「ガイジは生きる価値なし、死ね」は、その方がクラスメイトから吐かれ続けた言葉であることが分かりました。

岸田さんは、その方に対し、言葉の裏にあった事情に思いを寄せられなかったことに対して謝罪をし、それでもあなたがやったことは間違いである、ということを伝えると共に、その方に対して励ましの言葉を贈ります。

「「死ね」って言われ続けて、悔しくて苦しくても、死を選ぶことなく、生きてきましたよね。心を守るために、SNSで障害のある人へ「死ね」と言ってしまったかもしれないけど、自分で死ぬことも、誰かを殺すこともなく、お母さんとともに、よく生きてくれました。」

「あなたみたいな人が、少しずつ人と人との分断を溶かし、社会を良い方向へと成熟させていくのだとわたしは信じています。死ねの連鎖を、あなたが断ち切れる。」

 

岸田さんは、「なにを言ってるかじゃなくて、なんで言ってるかを考える方が、大切。差し出す相手にとっても、受け取る自分にとっても。」と述べています。

 

いわゆる「ジョーカー事件」の後に投稿されたこれらの記事を読み、これが問題解決のための大きなヒントになると考えました。

 

 

私は、2019年から母校の関西学院大学の法学部で非常勤講師を務めています。

最後にその講義のアイスブレイクとして話した内容を紹介します。

 

最高法規である憲法において最も重要な条文は憲法第13条であると言われています。

様々な解釈はあるかもしれませんが、私は、「個人の尊厳」を実現し、保障することに最高の価値をおく、という点が同条の趣旨だと理解しています。

したがって、日本の法律の究極の目的は、「全ての個人が、自分が自分として生きているということに、最高の価値を見出せる社会を実現する。」ということにあります。このことをかみ砕くと、それぞれが生きがいを持って生きられる社会にしようよ、ということだと考えています。「全ての個人」が対象である以上、誰一人取り残されてはいけない、お金があろうとなかろうと、肩書があろうとなかろうと、本当はそうじゃなきゃいけない。

じゃあ、生きがいって何なの?という話になるのですが、誰かの役に立つこと、誰かの役に立っていると実感すること、それが人間が生きがいを感じるための最も手っ取り早い方法であると聞いたことがあります。

 

この時は、「法律」について大きな視点からの話をしていたのですが、これに続けて、当時、刃物を持った男性がバス停に並んでいた子どもたちを含む多くの人たちを刺したという事件についての話をしました。その事件も含めて、その前後で、無職の独身男性が被疑者となった通り魔的な犯行が続いたことから、元2ちゃんねるの開設者である西村博之さんが、次のような話をしました。

 

仕事もなく、家族もなく、お金もなく、生きがいが見いだせなくなった人たちが罪を犯してしまうというケースが増えている。そういった問題をどう解決するのか、について、西村氏は、少し過激な題名ではありましたが、「キモくて金ないおっさんにウサギを配ろう」という話を紹介していました。以下は引用です。

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ネットで「キモくて金のないおっさん問題」と言われる、「誰からも好かれていないし、期待されていないおっさんをどうにかしないと社会に悪影響があるよね」っていう問題があります。イギリスだと孤独担当大臣という大臣を作って対処を始めていたり、他の国では問題として認識されて、社会的に解決しようと予算が動いていたりします。

解決するには彼らが社会に未練を残すようにすればいいわけで、「家族や恋人ができたらいいよね」という解決策を言う人もいますが、現実には「キモくて金のないおっさん」と付き合いたい人はそんなに多くないのが実情です。

そこで注目したいのが、南米ベネズエラの食糧危機です。大規模な食糧危機が起きたので、国民の75%が平均約9キロも体重が落ちたそうで、多くの餓死者も出たといいます。

そこで、ベネズエラのニコラス・マドゥロ大統領は、貧困地域に食料としてウサギを配布しました。

ウサギは約2カ月飼育すれば、2・5キロぐらいに育つそうです。毎日の食事も満足にありつけない人たちの食事として各家庭に配って、2カ月ぐらいしたら食べるだろうと思ったら、ペットとして名前を付け、一緒に寝てかわいがっていて、全然食べなかったそうです。ということで、このウサギを配る計画っていうのは大失敗に終わり、今度はヤギで試すらしいです。

人は、弱い存在から頼られることで幸せを感じたりする生き物です。ということで、「キモくて金のないおっさん」にはウサギを配ってみると、「自分が社会からいなくなったら、ウサギの世話をする人がいなくなって、ウサギがかわいそう」ってことで、ウサギの世話をし続けるために社会に居続けてくれるんじゃないかと思うのですが、みなさんはどうお考えでしょうか。

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「個人の尊厳」を実現するために、全ての人にとって優しい世界を実現するために必要なのは、「ただ排除するだけでなく、その行為をする人の背景の問題に目を背けずみんなで考えることも当たり前の社会にしないと、結局一生解決しないんだろうなと思う。」、「なにを言ってるかじゃなくて、なんで言ってるかを考える方が、大切。差し出す相手にとっても、受け取る自分にとっても。」といった、冒頭で紹介した佐藤さんや岸田さんのような視点を、我々一人ひとりが持つことだと思います。私も、この大切なヒントを、広めていきたいと思います。

 

(文責:三村雅一)

2021年11月27日 02:56|カテゴリー:

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