ベンチャー法務の部屋

何もしないリスク

多くのベンチャー企業の経営者の話を聞かせていただくと、「何もしない」ことによるリスクは大きいことをよく耳にします。

変化の激しい昨今のビジネス環境においては、「挑戦するリスク」より「何もしないリスク」の方がずっと大きいという話です。

例えば、一橋大学イノベーション研究センターのセンター長米倉誠一郎教授と板倉雄一郎さんの共著である『敗者復活の経営学
』という本には、「チャレンジを続ける人だけが成功する」(表紙)とか、「変化が激しいいま、「挑戦するリスク」より「何もしないリスク」の方がずっと大きい!!」(帯)という文言が並んでいます。

このような視点でネットで検索していると、農業の世界でも、同じ文言で議論されている方がいました。

涌井代表のブログ『農業維新』 : 「『何もしないリスク』と『挑戦するリスク』」
(中略)
 一昨年のリーマンショック後の経済不況を受け、協会の主力業務である白米営業をやめて米の加工食品の営業に特化した決断が今の協会の原点だ。

 この一年間、協会がそれまでの営業を続けていたらどうなっていたのだろうか。今とは全く違う協会の姿があるに違いない。

 人生にも会社にも、常に分岐点がある。そして、常にルビコン川を渡る決断をする時がある。その決断をするか否かによって、それぞれの人生や会社の方向性が全く異なる。人間も会社も、「何もしないリスク」と「挑戦するリスク」のどちらかを選択する時には、「挑戦するリスク」を選択したいものだ。

 国の新しい農業政策も、農家に対して選択を求めている。国の政策に参加することもしないことも自由ですよ、という選択である。

 農家は、まさに、新しい農業政策に「参加しないリスク」と「参加するリスク」を選択する時が来たのではないか。
(中略)
(引用終わり)

正直なところ、「何もしないリスク」というのは、激しく移り変わる業界(IT業界等)だけに、主に適用されるものであり、普通は、何もしない方が安全だろうと思っていたのですが、必ずしもそうではないようです。農業の世界でも、その他の世界でも、「何もしないリスク」は、想像以上に大きいのかもしれません。

勿論、ここでいう「挑戦する」とは、無謀な挑戦ではなく、よく考え、可能な限りリスクを下げる努力をした中でのチャレンジを意味し、無謀な経営や法的倫理的な挑戦をする経営を意味するわけではありません。

ところで、このビジネスの世界では、ある種、当たり前の「何もしないリスク」が「挑戦するリスク」より大きいという考え方は、法律家の取締役の責任についての判断枠組みに馴染みにくいのかもしれません。

一般に、取締役に対して作為義務(何かをすべき義務)が認められること可能性はそれほど高くなく、それよりは、無謀な買収等により会社に損害を与えた場合に、取締役が責任追及されることの方が多いのが現実です。昨年7月15日のアパマンショップHD事件最高裁判決(PDFファイル)は、まさにその事例であろうと思います。(勿論、従業員や第三者等の身体・生命・財産等の権利に対する侵害が生じることが予想可能であったり、現に発生している場合等には、相応の安全配慮義務が発生する等、取締役が「何もしない」ことによって、責任が生じる可能性は十分あります。)

昨年のエントリー「経営判断原則に関する最高裁判決について」では、この点について、少し検討しました。会社法のスタンスとしては、経営者の誠実な挑戦については、できる限り自由にできるようにして、「挑戦する」ことに萎縮効果が及ばないように、そして、挑戦することに取締役個人的に課され得る法的なリスクが大きいのであれば、「何もしない」方がいいという結論になってしまわないように、十分配慮する必要があるように思います。

この点、弁護士は、多くの場合、挑戦した場合のリスクをお伝えすることが、どうしても多くなりがちであり、その意味では経営者に疎まれがちなところがあります。ただ、多くの企業法務の弁護士は、それはそれとして、よりリーガルリスクが低い形で、挑戦し続けてほしいと思っていることも確かであり、そのあたりの対話は、これからも、まだまだ弁護士サイドも経営者サイドも工夫する余地があるのかもしれません。

執筆者
S&W国際法律事務所

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